トニオ・クレーゲル:序論


 『トニオ・クレーゲル』には、「芸術家」と「俗人」の対立が描かれている。
そして、この両者の対立が物語の最大のテーマになっている。

 『トニオ・クレーゲル』における「芸術家」と「俗人」は、 それぞれ二元的な意味を帯びている。
一般の社会的身分、職業としての「芸術家」と、
芸術を生業にしていない「俗人」という通常における意味での一つ。
もう一つは、「芸術家」を身分、職業としてのそれという次元で捉えるべきものではなく、
ある精神構造の持ち主に特定し、「俗人」はそれを持ち得ない者と規定されていることである。

 その精神構造とは、人間の精神世界において行われる「認識」という作業そのものを
意味している。 1)

 『トニオ・クレーゲル』では、「認識」を行う人間を「芸術家」に、
行わない人間を「俗人」に定義付けて、はじめて対立が対立となり、テーマがテーマとなるのである。
しかし、一方からみると、両者の対立はそもそも対立という名に値しないくらい、
はじめから勝負の決まった対立なのである。

 なぜならば、「俗人」は「認識」しないからである。
彼らには、このような対立があるということを意識することがない。
つまり、対立は「認識」を事とする「芸術家」が自身の内に作り出したもので、
彼らにおいてのみ当てはまる一つの図式であると言える。
いや、「芸術家」には「認識」するが故に、
その対立が宿命的に課せられていると言っても過言ではない。 2)

 主人公トニオ・クレーゲルは、認識者であった。
当サイトでは、トニオと「俗人」とを対照に、両者の対立の関係、
いわばトニオの作り出したその構図についてみていきたい。

 さらに、作品に登場する「芸術家」、「俗人」たち自身を取り上げて、対立のより深い理解へ、
ひいては『トニオ・クレーゲル』自体の理解につながるように努めたい。